『そうね、花輪がいいわ。あの人が、いつも作ってくれた・・・』

母の最期の言葉が脳裏に焼きついて離れない。











人が見せる最後の欲望について
エドワード・エルリック












死者に向き合うのがつらいのは、死のその瞬間、
ことによっては人間がその最期の欲望、つまりは本心をさらけ出すからだ。
俺は母親の死に立ち会ってそれを経験してしまった。


あのまま。
「花輪を錬成してちょうだい」
そのまま死んでいてくれたのならば。

最期の一言を告げずに死んでくれたのならば。




*

流れていく景色を列車の窓越しに眺めながらエドワードはため息をついた。
セントラルから東部へ向かう列車の中、かれこれ数時間は列車にゆられているのだ。
馴れているとはいえ、若い身体とはいえ、疲れがないといえば嘘になる。
どうも熱っぽい気がしないでもないがただの風邪だろう。放っておけば治る。
しかし、それとはまた違うため息で。
嫌なことを思い出したものだともう一度ため息をつく。

「兄さん、疲れてるんじゃないの?ため息なんかついて」

向かいに座り、本を読むアルフォンスが言う。
表情のない鎧だが、声色から彼が心配そうな表情をしているのだろうと察し、
幼いままの弟の声に大丈夫だと笑って応えて、再び窓に目を向ける。

「無理しないでね」

どこか心もとなげな声に手をヒラヒラと振ることで応えて、外を見続ける。

あぁ、やるせない気分だ。
いらいらする。悲しくなる。泣きたくなる。



自分の身勝手さに反吐が出そうだ。






*


どうやら本格的に風邪を引いたらしい。
エドワードがそう気づいたのはイーストシティ近くの宿場町で宿を取ったときのことだ。
なにやらめぼしい情報があるとその町の図書館と宿にこもって調べ物を繰り返していた最中だった。
どうも頭がくらくらして熱っぽい。
このところ身体がだるかったのはそのせいかと風邪薬を適当に購入して飲んでおく。
アルフォンスより先に図書館から引き上げ、ベットに横たわり熱が引くのを待った。
弟にみつかったら面倒だ。ただでさえ過保護なんだから。

小さい頃だって。彼は懐古する。
自分が風邪引くと弟は過剰なまでに心配して、ベットに付き添って。
その後エドワードの風邪を貰ってしまって今度は弟がベットにくくりつけられるのだ。
母親はエドワードのアルフォンス近づき禁止令を出して遠ざけるのに、
自分はしてもらったのにしてやれないなんて嫌だと駄々をこねたのを覚えている。


熱っぽい頭はそのまま芋づる式に過去を回想していく。


やめてくれ、とエドワードは思う。
体調の悪いときは感傷的になりやすいのだから。
列車であんなことを思い出したのも体調が悪かったからに他ならないはずだ。


「兄さん・・・?」


アルフォンスの声に、虚ろだったエドワードの意識は覚醒した。

「気分悪そうだよ。大丈夫?」
「ん、あぁ、大丈夫。ちょっと風邪気味だったから寝てただけ」
「そう?無理しないでよ」
「お前、そればっか。」
「兄さんが無理してばっかりだからでしょ?」


声が笑った弟に笑い返して、「ごめん」と呟く。








風邪薬なんてそうそう効くものではない。
その町を出て、次の町へと移るとき、エドワードの体調は良くなるどころか悪化していた。
さすがに心配になって休ませようとするアルフォンスに、
次の町で少し休むからといって納得させる。
そんなにも長くはない列車での移動が救いだった。


「あー・・・」

意味のない発声で身体にこもる熱を少しでも吐き出そうとした。

町に到着した途端に土砂降りの雨に歓迎を受け、一旦駅で雨宿りを決め込むも、
どうやら降り止む気配がないので一気に宿まで走ってしまおうということになった。
アルフォンスはしきりにエドワードの体調を気にしていたが、
それ以外に仕様がない。駅で一晩過ごすほうがよほど身体に障る。

「仕方ねぇか・・・いくぞ、アル」


持っていた鞄を頭に掲げて一気に走り出した。
宿の場所は駅にいるうちに調べたから探してうろつくことはない。
それでも近いとはいいがたい場所まで走るのは正直つらかった。
後ろから付いてくる金属の音に、熱っぽくぼやける頭を集中させる。
しかしそれも長くは続かず。

あぁ、本当にやばいわ、俺。


やがて視界がぼやけ始め、揺れる。
あ、と思った瞬間、エドワードはあわてて駆け寄る弟の声を耳にしながらその場に倒れこんだ。








*

風邪を引いたとき、付き添ってくれた母さんの手の温もりを覚えている。
熱くほてった身体なのに、母さんが触ってくれたところは優しい暖かさを伝えて俺を安心させた。
幼い子供がよく言うように、酷い熱のときは「俺、死んじゃうの?」なんて馬鹿げた問いかけもした。
母さんは笑って「そんなことないわ、大丈夫」と言って額に口付けてくれる。

「母さん、俺が死んだら悲しい?」「当たり前じゃない。悲しいわ。私より先に死んでしまったら、
母さんまで悲しくて死んじゃうわ」「本当?」「えぇ・・・エドワードもアルフォンスも、私の一番大切な宝物よ」


わたしのいちばんたいせつなたからものよ。
ほんとうに?ほんとうに?



はなわをれんせいしてちょうだい。
あのひとがいつもつくってくれた。





あのひとが  いつもつくってくれた。





「嘘つき!!」
幼い自分が叫んでいる。
一番大切なものは父さんだったんだ。なんで父さんなんだ。
母さんを置いて出て行ったのに。なんで俺じゃないんだ。


「そうだ・・・もう一度・・・もう一度、母さんが生き返ったなら・・・」


今度こそは。






「母さんが・・・」




「兄さん!?気がづいた?」


弟に声に、エドワードは完全に覚醒した。
目を開けるとそこには見慣れない天井があって、
自分は柔らかな布団の上に横になっているようだった。
横を向くとアルフォンスがベット脇の大きな椅子に腰掛けてこちらを見ている。

彼を見て、自分が宿へ行く途中に熱で往来に倒れこんでしまったのだと思い出す。
するとここは宿だろうか。
部屋の中を見渡す限り、宿というよりも個人の家のような雰囲気だった。

「一晩中寝込んでたんだよ。しかもうなされてるし。」
「あぁ、悪ぃ・・・で、ここは?」
「あ、あのね―」

「気がづいたの?」

アルフォンスが状況を説明しようとしたとき、部屋の扉が開いて、
茶器を手にした初老の女性が入ってきた。

「有難うございます。だいぶ熱も下がったみたいです」
「そう、よかったわ。じゃぁエドワードさんのお茶ももってくるわね」
「あ、いえ、僕は飲みませんから兄さんに渡してください」
「あら、遠慮しなくていいのに」

にこやかに笑う女性は白髪交じりの金髪をした小柄で上品な人だった。
年の頃は40後半から50前半ぐらいだろうか。
エドワードが道に倒れた直後にそばを通りかかり、宿では十分な療養が取れないだろう、と
自らの家に招いて看病をしてくれた人だとアルフォンスが説明する。

「マーサさんっていうんだよ」
「よろしくね、エドワードさん」
「あ、ありがとうございます・・・マーサさん」

彼女は持ってきた茶器で暖かなお茶を淹れるとエドワードに勧めた。
良い香りのするお茶をエドワードは素直に受け取り口に含む。
暖かなそれは身体の中に染み込むような感覚がする。

「風邪のときはハーブティーが一番よ」


マーサは熱が完全に引くまではここに滞在してよいと言ってくれた。
さすがにこれ以上の迷惑を掛ける訳にはと思って辞退しようとしたが、
彼女は笑って、寂しい生活に活力が出るというので、有難く甘えることにした。
正直エドワードの体調もまだ全快とも程遠く、用心に越したことはなかったのだ。

「では、しばらくお世話になります」
「えぇ。ゆっくり休んで頂戴」
「えっと、ご家族とかは・・」
「母がいるわ。けど老人性痴呆っていうのかしらね、とにかく気にしないでいいわ」
「そうですか・・・」


彼女が夕飯の用意をしに下の厨房へ行くため退室すると、
部屋にはエドワードとアルフォンスだけになった。
外から響く雨の音で、昨日からの雨は今だやむ気配はないのだと知る。

「助かったな」
「うん。マーサさん、いい人だね」
「あぁ」
「兄さん大丈夫?」
「あぁ、だいぶいいよ」
「ならいいけど・・・・」

エドワードは起こしていた上半身を再び布団の中に沈めて天井を見上げた。


「兄さん、母さんの夢でも見てたの?」
「ん・・?あぁ、まぁ、な」
「うなされてたよ」
「そうか?いい夢だったぜ?風邪引いたときの母さんの夢」
「あぁ。よく覚えてる。気持ちのいい母さんの手」
「それだ」


しばし、母親の思い出話に浸る。

綺麗な思い出。








マーサの家にお世話になって二日目。
夕食に呼ばれ、初めてその部屋をエドワードは出た。
廊下からのぞく窓にはいまだ雨が打ち付けていてずいぶんと長いものだと嘆息する。
長くはない廊下の一番奥のリビングに入るとそこには大きな暖炉が備えられていた。

「寒くはないかしら」

夕食を準備しながらマーサが言う。

「いえ。立派な暖炉ですね」
「えぇ、私の父が作ったのよ。もう何十年も前だけれど」
「へぇ・・・すごいなぁ・・・」
「それを作るとさっさとどっかにいっちゃったわ」
「え?」
「私の父親、失踪してるのよ。母親には職があったから生活に不自由はしなかったけど」

「・・・・そうですか」


やがて準備が整い、夕食が始まる。
初日でアルフォンスが食事を取らないと心得たのか、マーサは何も言わずにいてくれた。
エドワードが食を進めるのを自ら食べながらも嬉しそうに見守っているようだった。

「あれ、そういえばお母様がいらっしゃるんじゃ?」

口を開いたのはアルフォンスだ。
エドワードも「あぁ」とうなずいた。

「母は一緒には食べないのよ。後で持っていくの」

マーサの嬉しそうな笑顔は悲しそうに歪む。
彼女の母親は老人痴呆だとは先程聞いた気がする。よほど悪いのだろう。


「そんなことより、エドワードさん、おかわりは如何?」


彼女は笑った。


夕食後にエドワードとアルフォンスは部屋に戻った。
食後の片付けぐらい手伝わせてくれと言ったのだが、早く良くなってもらうためには早く休めというのだ。
加えて、お兄ちゃんには弟がついていないと、とアルフォンスも部屋に返された。
台所からは皿を洗う音とその後に食器の音、何かをまた料理する音が聞こえた。
母親の分だろう。

「お父さんがいなかったんだね。僕達と一緒だ」

アルフォンスは悲しげに笑う。

「はは。暖炉作ってっただけまだましだって。アイツは何も残してすらいかなかった」
「もう、兄さんったらまたそんなことを」
「事実だろ」


なのに。母さんは。


エドワードはふと思ったのだ。
マーサの母親は最期に誰の名前を呼びながら死んでいくのだろうか。
マーサだろうか、それとも・・・。


くだらない。考えてもしょうがないことだ。
エドワードは布団に入り込み目を閉じた。





風邪を引いたとき、付き添ってくれた母さんの手の温もりを覚えている。
熱くほてった身体なのに、母さんが触ってくれたところは優しい暖かさを伝えて俺を安心させた。
幼い子供がよく言うように、酷い熱のときは「俺、死んじゃうの?」なんて馬鹿げた問いかけもした。
母さんは笑って「そんなことないわ、大丈夫」と言って額に口付けてくれる。

「母さん、俺が死んだら悲しい?」「当たり前じゃない。悲しいわ。私より先に死んでしまったら、
母さんまで悲しくて死んじゃうわ」「本当?」「えぇ・・・エドワードもアルフォンスも、私の一番大切な宝物よ」


わたしのいちばんたいせつなたからものよ。
ほんとうに?ほんとうに?



はなわをれんせいしてちょうだい。
あのひとがいつもつくってくれた。





あのひとが  いつもつくってくれた。





「嘘つき!!」
幼い自分が叫んでいる。
一番大切なものは父さんだったんだ。なんで父さんなんだ。
母さんを置いて出て行ったのに。なんで俺じゃないんだ。


「そうだ・・・もう一度・・・もう一度、母さんが生き返ったなら・・・」


今度こそは。





「くそっ・・・」

同じような夢を見る。
よほど疲れているのかマーサの話が意識させたのか。





*

翌日にはエドワードの熱も完全に下がっていて、体調は本調子とはいえないまでも
十分に療養が出来た。
窓から外を見ると若干ではあるが雨脚も弱まっていてそろそろ宿の方に移ろうということになった。

朝食時にマーサにそのことを告げるとまた寂しくなるね、とは言いながらも了承してくれた。
食後のコーヒーを飲みながら宿のチェックインの時間帯までの滞在ということで話が付くと、
彼女は暖炉の炎を見つめていた。

テーブルについて色々な取り止めのない話をしていた。
マーサの両親の話も聞いたし、兄弟も自分達の両親の話をした。
その途中でアルフォンスがそうだ、と声を上げてエドワードの方を見た。


「最後にお母様にご挨拶しなきゃ、兄さん」
「ん、あぁ、そうだな。これだけお世話になったんだしな」
「いいですか?マーサさん」

彼女は振り向き、にっこりと笑うとコーヒーカップをテーブルの上に置いた。

「嬉しいわ・・・でもね、母はもう正気じゃないのよ」
「え・・・」
「父親の・・・夫の名前を呼び続けてるだけなのよ・・・」




ぞっとした。
エドワードがこのとき感じた感覚はそんなものだったかもしれない。
自分のくだらない思考が駆け巡って嫌気がさす。



「そんなに悪いんですか」
「えぇ、まともに話ができないかもしれない・・・あら、ごめんなさいね、人様にこんな話を」
「い、いえ、いいんです。僕達が聞いたんだし」

「でも、そうね。久しぶりのお客さまだもの。あってあげて頂戴」
「え、でも、いいんですか?」
「えぇ、きっと母も喜ぶわ」



マーサの父親が出て行ったのはマーサがまだ少女の頃だという。
もう何十年も昔でマーサ自身父親の顔は殆ど思い出せないという。
母親は職を持っていたし、気丈な人であったので気落ちたそぶりも見せず、
マーサを育て上げた。

「父が大嫌いだったわ。いくら生活上の不自由がないといっても
 女一人で娘を育てるためには母親は苦労したはずよ。
 案の定。仕事を辞めると身体を崩して床上生活。さらに数年後には痴呆」

父を恨んだとマーサは懐古する。
もう数十年も前に出て行った父親だったが恨みは消えなかった。
勝手に何処かに行ってしまって母に苦労をさせた父親を何で好きになれるだろう。

「そして痴呆の入った母親の口から出たのは父親の名前」



何度も。熱に浮かされたように。
微笑みながら。求めるように。







朝食の片付けは僅かではあるが片付けを手伝わせてもらった。
その後使わせてもらった部屋の片づけをして荷物をまとめ、着替えをしてから
再びリビングへと向かう。
その間エドワードは終始無言で。


「丁度母に朝食を持っていく時間よ。一緒に行きましょう」

リビングの入り口とは反対側にある扉が母親の部屋の扉であるようだった。
ガチャリと開けた扉の中にはいい香が満ちていた。香を炊いているのだろう。

「母さん、朝ごはんよ」

ベット際のラックにお盆をおいて上半身を起こしていた母親の背中をさする。
目線は虚ろで焦点が定まってなく、髪は完全な白髪であったが、
なるほどマーサに良く似ている。


「コリン・・・?」

父親の名前だろう。皺枯れた声で弱弱しく呟く。

「違うわ。母さん。マーサよ。朝食をもってきたわ。それとお客様よ」

マーサは二人を示して言う。
母親は焦点の会わない視線を揺らして、示した先の兄弟を見る。

すると彼女の瞳が見開かれ、ベットから落ちんばかりの勢いで手を伸ばした。

「コリン!?何処に行っていたのコリン!!コリン!!」

マーサがあわてて制する。

「違うわ、母さん。お客様よ。エドワードさんとアルフォンスさんよ。
 父さんじゃないの。違うわ。」
「やめて、離して頂戴!!あぁ、コリン、やっと・・・・」
「母さん!!」

マーサは母親を制したまま、兄弟の方をみた。

「ごめんなさい、父さんは綺麗な金髪だったから、きっと・・・・」

兄弟は固まったまま動くことが出来ないでいた。
「い、いえ、退室していたほうがいいですか?」

アルフォンスが我に返って言う。

「そうね・・・せっかくなのにごめんなさい。」
「本当にいいんです。お手伝いできることは?」
「いいの。母を落ち着かせてから行くわ。ありがとう」



二人は退室し、リビングの椅子に座った。
部屋の中からは母のしわがれた声が叫ぶのが聞こえてくる。
何度も何度も。

コリン!やっと帰ってきてくれた。コリン!

そしてマーサの叫びも聞こえる。
「違うわ、母さん。マーサよ!!」


何で判ってくれないの!?私はマーサよ。母さん!!











なんで俺じゃないの?母さん。







エドワードは耳をふさいだ。

「兄さん?どうしたの?また具合が悪いの?」

アルフォンスの声すら入らず、エドワードはただ耳をふさぐ。
しかし耳をふさいだところで防げる音なんてタカが知れているのだ。
耳をふさいでもエドワードの耳には彼女達の叫び声が入ってくる。
弟が心配して問いかける声が入ってくる。


しばらくすると叫びはやみ、食器の音が僅かに聞こえだした。
おそらく落ち着いて食事をしているのだろう。

エドワードは顔を上げ、大きく深呼吸をする。




やがてその音もやむと、食器を片手に、マーサが部屋から出てきた。


「ごめんなさいね・・・・」


顔には明らかな憔悴が見て取れて、目には僅かに涙が溜まっていた。
彼女は扉を後ろ手に閉めると二人に向き直り、涙を拭う。






「・・・・出来れば、もう一度やり直したいと思うわ・・・私の名前を呼んでくれるように」






あぁ、自分の身勝手さに反吐が出そうだ。








その瞬間エドワードは彼女に背を向けて走り出し、廊下を抜け、家の扉を開け、
雨の降る町の中に飛び出していった。


「ちょっと!?何処に行くの?兄さん!?」

アルフォンスは驚きつつもマーサに失礼のないようにすぐに追いかけたりはしなかった。
しかし彼女が「行ってあげなさい」と言ったので一礼して謝罪をすると、自分も扉から駆け出した。

小康状態に見えた雨は更に酷くなっており、夕刻に近いこの時刻は辺りは既に薄暗かった。


行く当てなんてないだろう。衝動的に飛び出したのだから。
そうなるとこの路地の中を走るか歩くかしている可能性が高い。
何を思ったのか、こんな雨の中を飛び出すなんて。
ようやく熱が引いたばかりなのに。また風邪引いてしまうじゃないか。

数十分間、雨に打たれながら兄を探す。
マーサの両親の話を聞いてなにか変だった兄。
あの強くて思慮深い兄が、礼儀も無く、あの場でいちばん辛い筈のマーサさんに背を向けて走り出した。
アルフォンスには判らなかったのだ。



アルフォンスがその赤いコートを見つけたとき、
エドワードは路地裏の壁際に、壁と向き合う形でたたずんでいた。
走っていたら行き止まりに突き当たったんだろう。
壁を向いているため、後から来たアルフォンスには背を向ける形となる。

街灯もない路地裏はとても暗い。



弟の気配を感じたのか、振り返ることはしなかったが、
身体を僅かに反応させ、独り言のような小さな声で呟いた。


「母さんが・・・」
「・・・・・・兄さん・・・?」

その声は微かに震えていて。
旅に出て以来、耳にすることのなかった兄の弱弱しい声だった。
雨は更に強く降り、地面を叩く音が路地裏際の建物に木霊して響くのに、
何故かアルフォンスには兄の声だけが明瞭に聞こえた。


「最期に、あのまま死んでいてくれたら・・・・最期の一言を言わないでくれたなら・・・・
 俺は、人体錬成なんて・・・・考えなかった・・・・かもしれない・・・」
「なっ・・・何を・・・」

うろたえた返事しか出来なかった。

「俺はショックだったんだ。
 母さんが俺達の錬金術を見て喜ぶのが親父を思い出すから、だったって・・・」
「・・・兄さん」
「母さんを放って出て行ったくせに最後まで母さんの頭にはアイツが一番だったんだ」


ショックだった悲しかった。
母さんが死んで母さんともう会えない母さんが笑ってくれない。

それと同時に凄まじいまでの劣等感。悔しさ。やるせなさ。


「一番とか、そんなんじゃないってのぐらい判るよ、頭では、な。
 でも、もう一度生き返ってくれたら、今度こそって・・・・考えた・・・・」



もう一度会いたいという幼い欲求。
そして同様に幼くも本能的な劣等感を補いたいという欲求。

母の墓前で弟に「母親を生き返らせる」と継げたとき、自分を突き動かしたのは
明らかに後者の欲求からだった。

マーサが「出来るならやり直したい」と呟いたとき、
自分はすでにやってしまったのだと心中で叫んだ。

胸に湧き上がるむず痒さに似た歯痒さを抑えるために衝動のままにその場を離れた。



「・・・・」

アルフォンスには掛ける言葉が見つからなかった。
何か言わなければ。兄さんが悪いんじゃない。
いや、悪いとか、そんなんじゃない。悪戯に思考が空回りして、言葉が頭を駆け巡るだけで。

幼かった自分にはそこまでに考えが及ばなかった。
ただ、母さんをなくしたのが悲しくて悲しくて。父のことも多くを知っているわけではない。
兄さんはより多くの苦しみを負ったんだね。


「兄さん、また熱出るよ・・・」

背を向ける兄に近寄り、弟は腕を引く。
抱きしめたいけど、自分の身体は雨に冷えていて余計彼の体温を奪ってしまうのだ。
引いた腕はあっさりとこっちに寄る。
垣間見た金の瞳は涙を流していたのかもしれない。微かに赤い。


「もう、何を言ってもしょうがないんだ・・・。兄さんが懺悔したって僕の身体は冷たいままだし、
 僕が懺悔したって兄さんの腕や足は機械のままなんだ・・・進むしか、ないんだ」
「・・・・解ってるよ・・・・アル・・・」
「解ってるって判ってる・・・でも何か言わないと・・・」
「無理すんなよ。」
「兄さんだって」

「お互いな・・・・」


エドワードは思った。
多分、自分が死ぬときには必ず最期はこの弟を考えるだろう。
たとえこの先誰と出会ってどんな仲になったとしても。

そしてそれをこの弟にも求めてしまうんだ。
いや、もしかしたら大切だと思う全ての人にその欲求を向けるのかもしれない。
最期の瞬間に自分を、と。

幼い頃満たされなかったその欲求を。


雨の中、手を引いてくれる弟の冷たい鋼の身体に抱きついて、
冷たいよ、と焦る声を聞きながら、
これからの自分の貪欲さにあらかじめ嫌気をさしながら。

流れる涙を拭いもせずに弟の身体に抱きついたままでいた。









**

マーサの家に帰ると彼女は暖炉の前に座って編み物をしていた。
扉を開けて入ってきたずぶ濡れの二人にタオルを差し出し、緩やかに笑った。

「ごめんなさいね、私が人様にあんなところをお見せするから」

「いえ、まさか。俺が悪いんです。本当にごめんなさい」
「いいのよ気にしなくて。私もおばあちゃんにだからかしらね、寂しがりやになったのよ。
 ついつい色々しゃべりすぎちゃったわ。許してね」

彼女は言いながらエドワードに暖かい飲み物を渡してくれる。

「やり直しなんて出来ないんです・・・マーサさん」
「えぇ、判っているわ。エドワードさん」
「辛いですよね。ずっと・・・」
「えぇ、でも仕方ないのよ。人間ですから」
「・・・・・・はい」





そうこうしている内に時間がやってきて、
エドワードとアルフォンスはマーサに何度も謝罪とお礼を繰り返し、
荷物をもって玄関へと向かった。

雨はまだまだやむ気配がなく地面を叩いている。
マーサが傘を貸してくれるというので有難くお借りした。
この町を出るときにもう一度顔を出すという約束みたいなものだ。

「本当にお世話になりました。有難うございます」
「いいえ。私も楽しかったわ。色々とごめんなさいね」
「いえ、こちらこそ・・・・また、伺います」
「えぇ、必ずね」
「はい」



笑うマーサをみてエドワードはどこか心を痛める。


彼女は母親が死ぬまで、憎らしい父の名前を呼ぶ母親と共にいなければならない。
自分の名前を呼んでくれる一瞬を望みながら。
そして自分も。
死者は蘇らない。母さんが最期に呼んだのは父さんだったとい思いを持ったまま。
さらにはそれを悔しがって大きな罪をおかしてしまったという贖罪をもって行かなければならない。


自嘲気味に笑って隣のアルフォンスを見る。

彼はエドワードの視線に気づくと心配そうにいつもの台詞を吐くのだ。


「兄さん、大丈夫?」



大丈夫。


「なぁ、アル。お前が死ぬときは俺の名前を呼んでくれよ」









あぁ、自分の身勝手さに反吐が出そうだ。















fin

アニメ見て。
母親の最期の台詞は酷だなぁ、と思いました。